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名古屋地方裁判所 昭和63年(行ク)1号 決定

申立人(本案原告)

山口治久

右訴訟代理人弁護士

森山文昭

渥美雅康

松本篤周

仲松正人

相手方(本案被告)

名古屋西税務署長

大脇章

右指定代理人

小島浩

種村敏

石川誠治

主文

本件申立てを却下する。

理由

一申立人(原告、(以下「申立人」という。)の本件申立の趣旨及び理由並びに相手方(被告、(以下「相手方」という。)の意見に対する反論は、別紙一ないし三に記載のとおりであり、相手方の答弁及び意見は、別紙四、五に記載のとおりである。

二1  よって審案するに、申立人が本件申立ての理由とする民事訴訟法三一二条に定める文書提出義務は、証人義務、証言義務等と同様、基本的には国家に対する公法上の義務たる性質を有するから、文書の所持者が守秘義務を負い、当該文書が守秘義務に係る内容を有する場合には、同法二七二条、二八一条一項等の規定が類推適用され、その者は右文書の提出義務を免れると解するのが相当である。

しかして、申立人が提出を求めている文書は、いわゆる類似同業者の所得税確定申告書及び所得税青色申告決算書であって、これらには右守秘義務による保護の対象となる個人の所得金額、資産、負債等の記載がなされているから、相手方は、国家公務員法一〇〇条一項、所得税法二四三条により、職務上知り得た右事項につき守秘義務を負うものであって当該文書の提出義務を免れるというべきである。

2  この点につき、申立人は、

(一)  文書提出義務を免れるような文書は、そもそも訴訟において引用すべきではない。

(二)  相手方が守秘義務を負うとしても、納税者の特定につながる固有名詞をすべて削除した写しの提出をすべきである。

(三)  このように解さないと、訴訟における当事者の実質的公平は失われる、

などと主張する。

しかしながら、本案事件で争点となっている推計課税の適法性の立証は、他の類似同業者による所得税確定申告の内容に触れずしてなし得ることはほとんど不可能というべく、推計の必要性が認められる以上、推計の合理性の主張、立証のため相手方が右の内容について言及することも許されないと解する根拠はまったくない。もとより、相手方が本件で提出を求められているような原始記録自体を提出せず、これに基づいて税務署職員が作成した課税事績表をもって代える場合には、その証明力において差異が認められるのは当然であり、相手方においてこれを補充する他の立証方法を採る必要に迫られるのが通常であるから、右原始記録の提出を命じないからといって特に訴訟当事者間における不公平を招来することもないというべきである。

また、納税者の特定につながる固有名詞を削除した写しの提出についても、このように現存しない文書を作成してその提出を求めること自体、そもそも文書提出命令の対象とするものではないと解される上、これらを削除しても、他の記載内容から当該納税者を特定することが不可能とはいえず、このような措置によって守秘義務を果たしたとはいい得ない場合が存すること、などに照らすと、申立人の主張するような写しについての文書提出義務を免れると解するのが相当であり、結局、申立人の主張は採用することがない。

三よって、本件申立ては理由がないので却下することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官浦野雄幸 裁判官加藤幸雄 裁判官岩倉広修)

別紙一

申立ての趣旨

相手方は左記文書を提出せよ。

一 文書の表示

昭和六三年二月二二日付被告第二準備書面添付別表二(同業者比率表)に記載のあるイからワまでの「類似同業者」に係る左記文書

昭和五七年、五八年、五九年分の各所得税確定申告書及び所得税青色申告決算書

二 文書の趣旨

右「類似同業者」がそれぞれの年分の所得税の確定申告にあたって被告に対して提出した文書

三 文書の所持者

被告

四 証すべき事実

本件推計が合理性を欠くこと

五 文書提出義務の原因

民事訴訟法三一二条一号

本件文書は、被告が第二準備書面の二六頁において引用しており、かつ、被告が所持している文書である。

別紙二

被告は、本件文書に関して守秘義務を負っているので、文書提出義務を負わないと主張している。

そして、被告が援用する東京地裁昭和五八年一二月一日決定は、「これらの事項を明らかにするときは、今後の調査・資料の収集が困難になるなど税務行政の執行に重大な支障を来たし、国家ないし公共の利益に重大な不利益を及ぼす恐れがある」ということを理由に、提出義務を否定している。しかし、問題は「国家ないし公共の利益に重大な不利益を及ぼす恐れがある」かどうかなのではなく、被告が訴訟においてその文書の一部を引用した主張をしておきながら、その文書の提出を右のような理由で拒むことができるかどうか、にあるのである。被告のいうように、主張はするが証拠は見せない、というのでは、それこそ前にも述べたように、裁判所に対し被告の主張を盲目的に信用せよと言うに等しいのである。もし、本件文書を明らかにすることが「国家なしい公共の利益に重大な不利益を及ぼす」ことになるいうのであれば、被告は本件文書を引用した主張を行なうことを断念するべきである。

また、同じく被告の援用する浦和地裁昭和五四年一一月六日決定は、「税務署長が訴訟当事者として、たまたまこのような文書を訴訟において引用したからといって、各納税者が秘密保持の利益を放棄したものとみなされるいわれはないから、当該税務署長は、依然として当該文書に記載された各納税者の所得金額、資産負債の内容等について守秘義務を負っているというべきである。このように、訴訟当事者が国家公務員法、所得税法によって第三者の秘密保持のために、ある文書に記載された事項につき守秘義務を負う場合には、当該第三者が右文書の提出に同意しているとか、或るいは、訴訟当事者が、その文書の内容のすべてについて、例えば右第三者たる納税者の住所氏名、営業内容、所得金額等のすべてに逐一詳細に当該訴訟において申し立てているなど第三者が既に秘密保持の利益を放棄もしくは喪失していると見られる特段の事情のないかぎり、当事者は右文書につき民事訴訟法三一二条一号による提出義務を免れると解すべきである」と述べている。しかし、被告が訴訟においてある文書を引用したからといって、納税者が当該文書にかかる秘密保持の利益を放棄したことにならないのは当然のことである。問題は、被告が当該文書を訴訟において引用した以上、守秘義務を理由にその文書の開示を拒むことができるかどうかという点にあるのである。納税者が当該文書にかかる秘密保持の利益を放棄していない以上当該文書を明らかにすることができないというのであれば、そもそも被告は、当該文書を引用すること自体を断念するべきである。

名古屋高等裁判所昭和五二年二月三日決定(判例時報八五四号六八頁)は、被告が法人税あるいは所得税の確定申告書ならびにその附属書類の一部(納税者の氏名又は法人名、納税地や住所地の一部、仕入先、借入金の借入先、役員および家族の状況、従業員の氏名、関係税理士の氏名、住所等)を隠ぺいした書証を提出した事案に関し、右隠ぺい部分を含む原本の提出を被告に対し命じており、当事者が自ら引用した文書は、たとえ守秘義務があるものであっても提出義務は免除されない、と明確に判示している。そこで、以下右関連部分を引用する。

「文書所持者の証拠調べの協力義務である文書提出義務は、限定的ではあるが、公法上の義務、訴訟法上の義務として証人義務と同じ性格を有するものであるけれども、民訴法三一二条一号の当事者がみずから引用した文書については、証言拒絶に関する民訴法二七二条、二八〇条、二八一条の規定は類推適用されず、たとえ守秘義務のあるものであっても提出義務は免除されないと解すべきである。けだし、民訴法三一二条一号で当事者がみずから引用した文書について提出義務を認めたのは、もっぱら訴訟において当事者は実質的に平等であらねばならないという基本的要請に基づくものであり、当事者が訴訟においてその所持する文書をみずから引用して自己の主張の根拠としながら、秘密の保持を要請されているからといってその提出を拒否するのは当該訴訟における相手方、本件について言えば抗告人の防御権を侵害するばかりではなく、訴訟における信義誠実の原則に反し、文書を引用してなした相手方の主張が真実であるとの心証を一方的に形成せしめ適正な裁判を誤らしめる危険さえ包蔵しているので、これを抗告人の批判にさらすことが採証法則上公正であると考えられるからであり、そしてこのような場合秘密の保持を要請されている内容の文書であるにもかかわらずこれを訴訟維持のために敢えてみずからの主張の根拠にした当事者は、該文書についての守秘義務を遵守せず、それによって得られる秘密保持の利益を放棄したものとみなされるべきだからである。もし右当事者においてあくまで秘密保持の利益を保持しようとするならば、一部を隠ぺいしなければならないような文書を書証として提出することは断念すべきであろう。」

また、大阪地裁昭和六一年五月二八日決定(判例時報一二〇九号一七頁、二二頁)は、本件と同様に被告が青色申告決算書の一切を開示しない事案について、納税者の特定につながる部分を削除した写の提出を命令しており、そのようにすれば守秘義務違反の問題は生じないと、次のように判示している。

「本件青色申告決算書は、個人の秘密に属する所得金額、資産負債の内容等が記載された文書であって、税務署長は、所得税の調査に関し職務上知り得た右のような事項につき、国家公務員法一〇〇条一項、所得税法二四三条によって守秘義務を負うものであって、税務署長が訴訟当事者として、このような文書を訴訟において引用したからといって各納税者の秘密保持の利益が無視されてよいことになるいわれはないから、税務署長は右秘匿部分について依然守秘義務を負っているものというべく、被告は、本件青色申告決算書の原本それ自体の提出義務を負うものではないというべきである。

しかしながら、本件青色申告決算書の記載部分中、申告者の住所・氏名・電話番号、事業所の名称・所在地、従業員の氏名等納税者の特定につながる固有名詞をすべて削除した写(本件で原告は、予備的にはこのような青色申告決算書写の提出を求めているものと解される。)については、それを提出することにより、納税者の営業、財産等に関する秘密を漏泄するおそれがあるとは考えられず、守秘義務違反の問題は生じないというべきである。」

原告は、右名古屋高裁昭和五二年二月三日決定がきわめて論旨も明解であり、民訴法三一二条・三一四条の趣旨に添うものとして、全面的にこれを援用するものであるが、百歩譲っても、右大阪地裁昭和六一年五月二八日決定のように、納税者の特定につながる部分を削除した写の提出が命ぜられるべきであると考えるものである。

別紙三

(守秘義務について)

1 被告は、原告が意見書(一)で援用した名古屋高裁昭和五二年二月三日決定について、「当事者が、みずからの秘密を保持する利益がある場合と、他人の秘密を保持する義務がある場合とを混同しているものである」と非難しているが、これは右名古屋高裁決定の立場を正しく理解しないものである。

すなわち、右名古屋高裁決定は、原告の意見書(一)一四頁で引用しているように、民訴法三一二条一号の趣旨は当事者の実質的平等という基本的要請に基づくものであることを指摘した上で、提出義務を認めないと、①訴訟の相手方の防御権を侵害すること、②信義誠実の原則に反すること、③文書を引用した主張が真実であるとの心証を一方的に形成させ適正な裁判を誤らしめる危険さえあること、等の問題点があることを理由に、守秘義務があっても提出義務は免除されないと判示しているのである。右判示中「訴訟維持のために敢えてみずからの主張の根拠にした当事者は……秘密保持の利益を放棄したものとみなされるべき」と述べている「秘密保持の利益」とは、他人(納税者)の秘密保持の利益のことを言っているのではなく、他人(納税者)の秘密保持の利益を守ることによって反射的に国家が享受すべき利益(すなわち、今後の調査・資料収集等に支障が生ずることのないよう、税務行政の執行を円滑ならしめる効果――東京地裁昭和五八年一二月一日決定は、こうした国家ないし公共の利益を強調している)のことを言っているのである。

したがって、前記名古屋高裁決定は、何ら「みずからの秘密を保持する利益がある場合と、他人の秘密を保持する義務がある場合とを混同している」ものではない。

そもそも、多くの決定例が指摘しているように、民訴法三一二条一号が文書提出義務を当事者の一方に課した趣旨は、「当該文書を所持する当事者が、裁判所に対し、その文書自体を提出することなく、その存在及び内容を積極的に申立てることにより、自己の主張が真実であるとの心証を一方的に形成させる危険を避け、当事者間の公平をはかって、その文書を開示し、相手方の批判にさらすべきである」(浦和地裁昭和五四年一一月六日決定・大阪地裁昭和六一年五月二八日決定、同旨名古屋高裁昭和五二年二月三日決定等)という点にある。当該文書につき被告が守秘義務を有しているかどうかによって、右のような民訴法三一二条一号の趣旨が左右されるものではない。しかも、両者は全く無関係の事柄であって、どちらの法益がより重要か比較衡量できる性質のものでもない。行政訴訟においても基本的には当事者主義(弁論主義)の考え方が妥当するものであるから(行政事件訴訟法二四条も、職権探知主義まで認めたものではなく、証拠が不十分で心証が得られない場合にのみ、補充的に証拠調べを職権で行なうことができることを認めたものにすぎないと解されている)、一方当事者がどうしても守秘義務を遵守しなければならないと考えるのであれば、右事項に関する事実は訴訟で主張しなければ良いのである。守秘義務があるからといって、民訴法三一二条一号の法意である当事者対等の原則が無視され、裁判所の心証を誤らしめる危険を招来する結果になっても良いなどといういわれは断じてないものであることを強調したい。

2 被告は、「当初から守秘義務に違反する結果を招く、青色申告決算書および所得確定申告書そのものを提出する意図はなく、これとは別の文書である一般通達の回答文書を書証として提出し、これをもって同業者率を立証していることは明らかである」(意見書(二)七〜八頁)と主張している。

しかし、右「一般通達の回答文書」とは乙第二号証一ないし三のことであると思われるが、この書証の性質は単なる陳述書であるにすぎない。このような陳述書(しかも、それは訴提起後に当事者自らが作成したものにすぎない)のみによって、主要事実の立証ができるとは、誰も信じない。そのようなことが可能であるとするならば、裁判とは“らく”なものである。

立場を変えてみよう。本件のような所得税更正処分取消請求事件において、仮に原告が原始資料(帳簿・領収書・納品書等)を所持しているにもかかわらず、これを一切開示しないでおいて、訴提起後に原告ないしはその経理担当の従業員名義で陳述書を作成し、実額はこのとおりであると主張したとしたら、被告は一体どうするであろうか。それは信用できない、あるいは陳述書のみでは立証が十分ではない、等と主張するのではないだろうか。被告は、それと全く同様のことを本件訴訟において行なっているのである。

被告はまた、「これらの文書がなければ、原告の推計の合理性を争うことが著しく困難になるとか、不可能になるというものでは決してない」とも主張している。しかし、民訴法三一二条一号の趣旨は、前記名古屋高裁昭和五二年二月三日決定も言うように、当事者の実質的公平を図ることにあるのであるから、「不可能」あるいは「著しく困難」でなければ良いなどとは決して言えないのである。当該文書が開示されないことにより、当事者の一方が少しでも不利益になるのであれば、民訴法三一二条一号の法意は完全に没却されてしまうのである。

被告はさらに、「原告は実額主張により、推計そのものを争うことが可能である」と主張するが、原告に実額主張が可能だからといって、被告の推計がいいかげんであって良いはずはない。推計に高度の合理性が認められない限り、更正処分は取り消されるべきであり、それが申告納税制度の本旨にかなう道である。また、場合によっては、資料の散逸等によって実額主張が困難ないし不可能なことすらあるし、そもそも実額主張を行うかどうかは原告の自由な判断に委ねられるべき問題である。実額主張が可能かどうかということと、文書の提出義務が認められかどうかということとは、全く無関係の事柄である。

さらに被告は、「原告の個別、特殊事情を主張、立証することなどの方法により、十分に反論、立証できる」とも述べているが、本来、「原告の個別、特殊事情」なるものは、被告の抽出した「類似同業者」と比較して初めて意味を持つものである。したがって、被告の右主張も、文書提出義務を免除する理由にはなり得ないものである。

3 被告は、「納税者の特定につながる固有名詞をすべて削除した写」の提出を命じた大阪地裁昭和六一年五月二八日決定の抗告審である大阪高裁昭和六一年九月一〇日決定を引用し、右のような写の提出を命ずることは現存しない文書の提出を命ずるものであって、文書提出命令の制度には含まれない、と主張している。

しかし、右大阪高裁決定の論旨は、あまりにも形式論理であり、説得力がない。すなわち、大阪地裁決定が写の提出を命じたのは、本来ならば原本そのものを全部提出させるべきであるところ、その文書の一部には守秘義務との関係で問題があるので、問題のない部分に限って提出を命じた(すなわち、請求の一部認容)という意味なのであって、現存しない文書を作成して提出するよう命じたようなものでは決してないのである。前記大阪高裁決定は、とにかく国の主張にそって、提出命令を排斥すればそれで良いとの立場に立った、非常に偏頗なものであると言わざるを得ない。

仮に、原本ではなく写の提出を命ずることが、現存しない文書を作成して提出を命ずることになるのではないかと、あくまでもこだわるのであれば、納税者の特定につながる部分に紙を貼って、当該部分を読めなくした原本そのものの提出を命ずれば良い。このような方法は、刑事事件において、一部不同意となった書証を取り調べる際に通常よく行われているものである。

また被告は、固有名詞等を削除した写であっても、そこから同業者を特定し得たという例もある、と主張しているが、そのような証拠は一切なく、被告主張のような事態は通常は考えられないものである。この点について、前記大阪地裁昭和六一年五月二八日決定は、以下のように判示している。

「被告は、そのような写であっても、従業員・専従者の年令、償却資産の内容等、あるいは申告書自体の筆跡から申告者の特定が可能になる場合があり、現に具体的訴訟事件において原告側が、その申告者を特定し得たことがあり、さらにその申告者とされた者がその事業内容等につき調査され、困惑するという弊害も生じたことがある旨主張するが、特段の事情のない限り、相当多数にのぼると思われる東大阪税務署管内の同業者の中から、私人たる原告が右のような記載事項のみを手がかりに該当者を特定することが可能であるとは容易には考えられず、本件において被告主張のような事態が生ずるおそれがあることを窺わせる特段の事情の存在を認めるに足りる証拠もない。被告が訴訟において一個の文書の重要な一部を引用した以上は、その文書の内容全部を守秘義務に反しない限度で開示することが民事訴訟法三一二条一号の前示の立法趣旨に照らし、当事者間の公平をはかるために必要であるというべきであって、根拠に乏しい申告者の秘密漏泄(東大阪税務署管内の選定同業者が二名にすぎないのは、被告が売上金額の範囲を定めるなど種々の条件を付して選定を行ったためであるから、右の同業者数が少ないからといって、同署管内の同業者数が少数で特定が容易であるということにはならない。)を理由に文書提出義務を否定する被告の主張は採用し難い。」

別紙四

文書提出命令の申立てに対する意見書(一)

原告の昭和六三年三月三一日付文書提出命令申立て(以下「本件申立て」という)に対する被告の意見は、次のとおりである。

第一 意見の趣旨

本件申立てをいずれも却下する。

第二 意見の理由

民訴法三一二条に定める文書提出義務は、裁判所の審理に協力すべき公法上の義務であり、基本的には証人義務、証言義務と同じ性格のものであるから、文書所持者である被告は、民訴法二七二条、二八一条一項一号等の類推適用により、職務上の秘密に属する文書については文書提出義務を負わないものと解すべきである(東京地裁昭和五八年一二月一日決定、税務訴訟資料一三四号二九〇ページ、浦和地裁昭和五四年一一月六日決定、訟務月報二六巻二号三二五ページ)。

原告が本件において提出を求める文書は、所得税確定申告書および所得税青色申告決算書であるから、いずれも個人の秘密に属する所得金額、資産負債の内容等が記載された文書であって、被告である税務署長は、職務上知り得た納税者の所得に関する右の事項につき、国家公務員法一〇〇条、所得税法二四三条の規定によって、守秘義務を負うものであることは明らかである。したがって、被告は、所得税確定申告書および所得税青色申告決算書の提出義務を負うものではないというべきである。

以上のとおりであるから、本件申立ては、不相当であり、却下すべきものである。

別紙五

守秘義務による提出義務の不存在について

1 民訴法三一二条に定める文書提出義務は、裁判所の審理に協力すべき公法上の義務であり、基本的には証人義務、証言義務と同じ性格のものであるから、文書所持者にも、民訴法二七二条、二八一条一項一号等の規定が類推適用により、文書所持者に守秘義務のあるときは、右文書の提出義務を免れるというべきである(東京地裁昭和五八年一二月一日決定、税務訴訟資料一三四号二九〇ページ、浦和地裁昭和五四年一一月六日決定、訟務月報二六巻二号三二五ページ、大阪地裁昭和六一年五月二八日決定、判例時報一二〇九号一六ページ)。

2 ところで、民訴法の規定によれば、公務員が証人であるときには、その職務上の秘密につき尋問する場合においては裁判所は当該監督官庁の承認を得ることを要する(民訴法二七二条)とし、公務員の職務上の秘密であることを理由とした証言拒絶(同法二八一条一項一号)の場合には、その当否について裁判所が裁判をする余地はない(同法二八二条一項)とされているのである。したがって、尋問事項が職務上の秘密に該当するか否かの実質的な判断権は裁判所にはなく、その点の判断は当該監督官庁つまり行政庁に委ねられていると解すべきである(斉藤秀夫・「注解民事訴訟法」五巻四一、五一ページ、井ロ牧郎「実務民事訴訟講座1・判決手続通論Ⅰ三〇六ページ)。そうすると、人証か物証かの証拠方法の差異によって、職務上の秘密の保護に違いはないから、この理は、当然守秘義務による文書提出義務の免除となる事項か否かすなわち職務上の秘密に該当するか否かについても、同様に適用されるべきであるから、結局守秘事項か否かの実質的な判断権は裁判所にはなく、その点の判断は、どのような方法により、守秘義務違反を回避するかということも含めてすべて行政庁に委ねられているというべきである。

3 原告が本件において提出を求める文書は、所得税確定申告書および所得税青色申告決算書であるから、いずれも納税者の営業上の秘密やプライバシーに関する売上、売上原価、人件費、所得金額、資産負債の内容等が記載された文書であって、被告である税務署長は、職務上知り得た納税者の所得に関する右の事項につき、国家公務員法一〇〇条、所得税法二四三条の規定によって、守秘義務を負うものであることは明らかであり、このことは原告の援用する名古屋高等裁判所昭和五二年二月三日決定(判例時報八五四号六八ページ)も認めているとおり、原告においても自認するところである。

したがって、本件文書についてはいずれも守秘義務を負うものであるから、文書提出義務を免れることは明らかである。

4 もっとも、原告は昭和六三年六月一日意見書(一)の三において守秘義務の点について、①被告が訴訟においてその文書の一部を引用した主張をしておきながら、その文書の提出を拒むことは許されず、文書を明らかにすることができないのであれば、被告は本件文書を引用した主張を行うことを断念するべきである、②当事者が自ら引用した文書は、守秘義務があるものであっても文書提出義務は免除されない、③納税者の特定につながる部分を削除した写の提出が命ぜられるべきである旨主張している。

しかしながら、原告の右主張は以下のとおりいずれも失当である。

(一) 当事者が自ら引用した文書は、守秘義務を負うときも文書提出義務は免除されないとの主張について

原告の主張は、要するに名古屋高等裁判所昭和五二年二月三日決定(判例時報八五四号六八ページ)に沿ったものであるが、右決定は、その理由として「秘密の保護を要請されている内容の文書であるにもかかわらずこれを訴訟の維持のために敢えてみずからの主張の根拠にした当事者は、該文書についての守秘義務を遵守せず、それによって得られる秘密保持の利益を放棄したものとみなされるべきである。」「もし右当事者においてあくまで秘密保持の利益を保持しようとするならば、一部を隠ぺいしなければならないような文書を書証として提出することも断念すべきであろう。」と述べているが、右決定は当事者が、みずからの秘密を保持する利益がある場合と、他人の秘密を保持する義務がある場合とを混同しているものである。本件は、いうまでもなく後者であり、所得税法二四三条、国家公務員法一〇〇条一項によって、保護されるべき利益は納税者個人に帰属しているから、利益帰属主体以外の被告税務署長が、他人の利益をみずから放棄することはありえず、被告税務署長が訴訟当事者として、このような文書を訴訟において引用したからといって各納税者の秘密保持の利益が無視されてよいことになるいわれはないから、税務署長は依然として守秘義務を負っているものであり、本件文書の提出義務を負うものではないというべきである(池田浩一・右名古屋高等裁判所決定についての判例評論、判例評論二二六号四一ページ、浦和地裁昭和五四年一一月六日決定、訟務月報二六巻二号三二五ページ、大阪地裁昭和六一年五月二八日決定、判例時報一二〇九号一六ページ、大阪地裁昭和六二年六月二六日決定、訟務月報三四巻一号一七〇ページ)。

また、原告は「主張はするが証拠は見せないというのでは裁判所に対し被告の主張を盲目的に信用せよというに等しい」と主張しているが(原告意見書一一ページ)、そもそも本件は納税者である原告の信頼に足る帳簿等の資料がないため、所得金額を推計して更正、決定をするほかない場合であり、しかもその推計方法として納税者と業種、業態等の類似するいわゆる同業者の従業員一人当りの売上金額、経費率等(同業者率)によって算出せざるを得ない場合である。そこで、右同業者率を把握、算定するために、まず名古屋国税局長の発した一般通達に基づき、青色申告者のうち選定基準に該当する者すべてについて、その決算項目中、売上金額、売上原価、一般経費等の同業者率算定に必要な数値を調査、報告した文書をもって提出することにしたというものである。要するに、被告としては、本件推計課税の合理性を立証するため、当初から守秘義務に違反する結果を招く、青色申告決算書および所得確定申告書そのものを提出する意図はなく、これとは別の文書である一般通達の回答文書を書証として提出し、これをもって、同業者率を立証していることは明らかである。

おそらく、原告の意図は、文書そのものの性質、正確性よりも、同業者の類似性そのものも争うための手掛りにするため、個々の納税者の営業あるいはプライバシーに関する情報も含まれている青色申告決算書および所得確定申告書の提出を求め、これを検討し、原告との業態の差異を強調するというものであろうと思われる(原告の意見書八、九ページ)。なるほど、青色申告決算書および所得確定申告書は、原告の反論、反証のためには極めて便利であることは否定しがたいが、これらの文書がなければ、原告が推計の合理性を争うことが著しく困難になるとか、不可能になるというものでは決してない。けだし、もともと、原告は実額主張により、推計そのものを争うことが可能であるし、また推計方法あるいは選定基準そのものの合理性を一般的に争うことをはじめ、原告の個別、特殊事情を主張、立証することなどの方法により、十分に反論、反証できるからである。以上のとおりであるから、原告の前記主張は失当というべきものである。

(二) 納税者の特定につながる部分を削除した写の提出が命ぜられるべきであるとの主張について(原告の意見書一七ページ)

原告は、大阪地裁昭和六一年五月二八日決定(判例時報一二〇九号一六ページ)のように、納税者の特定につながる部分を削除した写の提出が命ぜられるべきであると主張している。

確かに、大阪地裁昭和六一年五月二八日決定は、「税務署長が訴訟当事者として、文書を引用したからといって各納税者の秘密保持の利益が無視されてよいことになるいわれはないから、……青色申告決算書の原本それ自体の提出義務を負うものではないというべきである。」と正当に判示しながら、さらに続いて「本件青色申告決算書の記載部分中、申告者の住所、氏名、電話番号、事業所の名称、所在地、従業員の氏名等納税者の特定につながる固有名詞をすべて削除した写については、それを提出することにより、納税者の営業、財産等に関する秘密を漏泄するおそれがあるとは考えられず、守秘義務違反の問題は生じないというべきである。」と述べて、そのような青色申告決算書の写の提出せよと命じた事例である。

しかしながら、その抗告審である大阪高等裁判所昭和六一年九月一〇日決定(判例時報一二二二号三五ページ)が、文書提出を命じた部分を取消すとともに、青色申告決算書及びその写についての文書提出の申立てをいずれも却下していることから明らかなように原告の前記主張は失当というべきものである。すなわち、大阪高等裁判所昭和六一年九月一〇日決定が「民訴法三一二条ないし三一四条所定の文書提出命令の制度は特定の文書の原本が現存することを前提とし、これを所持する訴訟当事者若しくは第三者にその提出を命じるものであって、右文書の現存と提出命令を申立てられた相手方が右文書を所持することは申立人において主張立証すべきものであって、その作成がいかに容易であっても、現存しない文書を作成した上、これを提出すべきことを命じることは文書提出命令の制度には含まれていないというべきである。」と判示するとおり、そもそも現存しない文書を作成した上、これを提出すべきことを命じることは文書提出命令の制度上ありえないことはいうまでもない。

本件において、原告が予備的に求めるという固有名詞等を削除した青色申告決算書等の写は、青色申告決算書とは別個の文書であり、被告が所持しないばかりか現存しない文書であって、文書提出命令の要件を欠いていることが明らかであり、却下すべきものである。ちなみに、被告が本件において推計の合理性を立証するため提出している文書は、いわゆる一般通達による課税事績表であって、青色申告決算書等ではないことは前記二のとおりである。

また、これを秘密保持の観点から実質的にみても、固有名詞等を削除した青色申告決算書等の写であっても、個人のプライバシーや営業上の秘密に属する事項が多数記載されているから、提出すれば、原告側の調査過程で、不特定多数の調査先に開示され、かつその記載内容、筆跡等から申告者が特定される危険があり、現に以前、課税庁において固有名詞等を削除した青色申告決算書等の写を提出したにもかかわらず、申告書の専従者給与の欄の続柄及び年齢、減価償却資産の明細あるいは同業者組合における調査等から青色申告決算書の同業者を特定しえたという例もあるから、このような青色申告決算書等の写を提出することは、被告税務署長が国家公務員法一〇〇条一項、所得税法二四三条によって負う守秘義務に照らし、出来るかぎり避けるべきである。

以上のとおり、本件文書申立ては理由がないことが明らかであるから、却下すべきものである。

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